Interview

2023.12.28

外川

銚子最年少観光大使が地元を盛り上げる挑戦をしてきた中でピンチをチャンスに変えてきた原動力とは

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銚子最年少観光大使が地元を盛り上げる挑戦をしてきた中でピンチをチャンスに変えてきた原動力とは

3.9 miles projectでは、銚子の挑戦インフラを創ることを掲げ、分散型ホテル構想の推進や様々な挑戦者と共に新しい場づくりや事業を展開しています。今回は、3.9 miles projectの副代表であるリレイル株式会社の和泉社長にこれまでの銚子での活動や挑戦の歴史についてお聞きしました。

「何かできることはありませんか」から始まった地元・銚子への地域活動

・・・和泉さんが最初に銚子で挑戦した活動について詳しく教えてください。

高校生の時に「銚子商業生が銚子のために行動しよう」という選択授業があり、その中での活動がクラウドファンディングでした。2014年1月頃に、銚子電鉄が脱線事故を起こしてしまいました。当時は2週間ほど銚子電鉄も停まっていて、いつも見慣れた銚子電鉄が走っている光景がなくなっていました。5月頃に友人や先生らと会社を訪問し「何かできることはありませんか」と打ち合わせをしたところ、「今年脱線した車両が今でも修理費を捻出できず走れなくて困っている」ということを社員の方に教えていただきました。その話が私には他人事にできず、クラウドファンディングに挑戦したという感じです。

・・・銚子電鉄の危機を救ったクラウドファンディング、その後の銚子の人との交流、観光大使の委嘱と銚子での活動を続けてきた中でリレイル株式会社を創業されたと思いますが、事業としてはどんなことから挑戦を始めたのですか?

大学卒業後、一度は就職をしました。ただ地元を想う気持ちが抑えきれず、翌年には思い切って独立をしました。計画性があったとは思っていません。大学の先輩に声をかけていただき、麻布十番の一等地にあるコワーキングスペースでディレクターとしてのお仕事をさせていただきました。しかし、2020年5月には新型コロナウイルスの影響で緊急事態宣言が発令し、このコワーキングスペースも一般利用は休業となってしまったのです。参画1ヶ月目で大ピンチでした。

・・・日本国内のみならず世界的に行動制限がありましたが、そのピンチをどのように乗り越えたのですか?

そのような中で、このコワーキングスペースを運営する代表から「ここにはキッチンスペースもあるし、ここを活用して飲食提供(テイクアウト販売)」をチャレンジしよう!」というご提案を受け、僕も6月頃から銚子のサバを使った「サバサンド」の開発・提供をスタートしました。これが弊社の最初の挑戦した事業です。
実は僕は飲食のバイトすらしたことがない飲食のド素人でした。そのため、イタリア料理人の先輩に開発協力を依頼したり、銚子の水産加工会社さんからサバを提供していただいたり、自分で何度も調理の練習をしたりと、そんな慌ただしく必死な創業期でした。最初は料理人の先輩に全て作っていただいたものを僕が提供していたのですが、ずっとそういうわけにはいかないため、調理工程や提供方法を教えていただいた後は1人で仕込みから始めるようになりました。絶望したエピソードは、サバサンドに使用するフォカッチャをやっとの思いで開店の2時間前に焼き上げたのですが、思うように生地が膨らまずやり直しを迫られた時です。深夜から仕込んでいた僕には体力も使い切っていたので、膝から崩れ落ちていきました。一旦、15分ほど仮眠を取り、気持ちを持ち直してなんとかもう一度焼き上げました。

・・・当時の反響はどうでしたか?

当時から銚子市の公式のF Bや地元でも周知をしていただいており、お陰様で連日完売することができました。コロナ禍で苦境の中でチャレンジすることもありましたが、多くのメディアでも取り上げてもらえることができました。また銚子に縁を持った方々が買いに来てくれ、その存在も本当に心強かったです。

銀座の一等地での飲食店舗の創業から閉業、そして地元へ戻る

・・・その後はどのように事業活動に繋げていきましたか?

その後、また先輩からのお誘いを受け、7月頃に東京・銀座7丁目に飲食店を開業する運びとなりました。もう1人、自分の地元を盛り上げようとする川越市出身の知人と共同で「江戸フィール」というお店を始動しました。僕の力足らずで一年ほどで撤退してしまったのですが、当時は東京に住む銚子出身者の方などにたくさん来店をしていただきました。僕自身も飲食店経営の基礎や心構え、ポイントなどの経験を積むことができ、創業3ヶ月目にしては激動の毎日でした。

・・・その後、銚子に戻ってからはなぜ宿泊施設を始めたのですか?

大学生時代から200人以上の友人知人を銚子に案内してきたのですが、当時から感じていたことの1つに、学生が泊まりやすい価格帯の宿泊施設がないことでした。周辺には立派なホテルもあるのですが、1人1泊12,000円〜だったため、学生には少しハードルが高いと感じました。その度に実家に泊まってもらっていたので、何回目かには母に「うちは旅館ではないぞ」と苦言をされました。そのため、学生でも泊まりやすく魅力的な宿を立ち上げたいという想いが生まれました。

銚子は資源に恵まれた贅沢な場所であり挑戦しやすい環境

・・・これまで多くの挑戦をする上で、銚子という場所の魅力をどのように感じていますか?

良い意味で魅力や資源がありすぎる、一言で言えば贅沢な場所だと思います。そのため、挑戦しやすかったり、外部からたくさんの人が銚子に参画したり、仕事をしにきてくれるのもその地域資源の豊かさや魅力から関わりやすいのかもしれません。また、選択肢の多さ、フックやチャンスがたくさんあることが、挑戦しやすい環境なのかもしれません。
私が今チャレンジをしている外川町というエリアは、350年前に築かれた漁村の歴史、営み、文化、景色、街を思う人のDNAなど奥深い魅力を感じています。今でも頑張っている魚屋、豆腐屋、八百屋、床屋、飲食店、喫茶店などライフスタイルに欠かせない機能が残っていることにありました。それも歩ける範囲の中です。広くないスマートなエリアでこれらが密集していることが魅力的でした。それを実感して自分もここで暮らしてみたいと強く思うようになりました。

・・・和泉屋のお客様の手応え、反応はいかがでしょうか?

まず外川という町の魅力への反応は、「坂と海のロケーションがとても綺麗で感動しました」「軒先で地元の方がイワシをたくさん自分で食べるように捌いていました」「漁村の暮らしをすごく感じました」などそのような町の魅力を感じてくれています。
和泉屋の声は「オーナーの気遣いや配慮や送迎にとても感謝しました」「2階から海を望む景色がとても良く居心地が良かったです」と高評価をいただき、外国の方にも「滞在がとてもしやすく、快適に過ごすことができました」「憧れのJapanese Houseに泊まれて嬉しい」という嬉しいお声をたくさんいただいております。ちょうど今日も0歳児のベイビーをつれた台湾人のご夫妻が泊まってくれていて「とても安心感があるお宿で落ち着きます」とお話してくれました。もちろん英語でのコミュニケーションだったため、開業してから少しずつ英語力が上がってきています。

銚子の観光大使として1人ひとりに寄り添ったオーダーメイドの観光案内が評判となった

・・・和泉さんは銚子の観光案内をしている時が1番輝いていると言っても過言ではないですよね。

観光案内は銚子の中で一番自信がありますね。お客様によってニーズも異なるため、そこに適応できる自信と実績があります。日曜日に泊まってくださるお客様もいるのですが、市内の海鮮が美味しい人気なお店は日曜定休が多く、お客様も困ってしまいます。ですが、そこも送迎や案内をして解決しています。過去に一度、台風が重なり2泊3日泊まってくださった方々がいたのですが、それでも僕にしかできないプランでアテンドしました。これが観光案内史上一番頭を悩ませましたが、今となってはお客様にとっても僕にとっても良い思い出になりました。

・・・日頃から和泉さんは「やりたい、したいを実現できるまち」にするとお話しされていますが、その想いの丈について教えてください。

僕が高校生でクラウドファンディングに挑戦していた際は、どちらかというと学校内で孤独感や虚無感を感じていました。親友や友人らに「一緒に銚子の人にインタビューしに行こうよ」「銚子電鉄に一緒に乗りに行こうと」と声をかけ誘っても、冷たい目で見られるというか、全く乗り気でなく興味の無さを感じていました。高校生だから他に部活や習い事などもあったと思いますが、そこには恐らく銚子への関心とか可能性とか魅力とかそんなものを面白がって感じられなかったからだと思います。それは街全体がそういうムードだったということにも繋がると感じています。だから、みんな無関心で期待できなくて、親は銚子に帰って来ないで東京で仕事頑張れと話すといった状況が起こってしまうのですが、そうではなく、この街に期待を感じ、可能性を感じ、私も何か挑戦してみたいと思うような感性の方向性へと変えていきたいですし、道を敷いていきたいと考えています。

みんなでレールを敷いていくことが大事

目指しているわけではないが、空き家という社会課題への解決策となればと考えています。それは、若者の挑戦の場、新規事業者の環境、外部からの移住定住、産業振興にも繋がっていくものだと思います。街の中で小さな商売が生まれると、それに続く人が必ず出てくる。パン屋さんができれば、美味しいコーヒーが飲める喫茶店やコーヒーショップが必要ですし、宿泊客が増えれば、朝・昼・夜にあった飲食店が必要で、街に人の流れができると今既存である商店、魚屋、釣船にも誘致ができます。そんなムーブメントや文化ができてくると、街全体が活気づくような可能性に満ち溢れたプロジェクトだと思っています。3.9 miles projectは、レールを敷きながら電車を走らせ続けるようなイメージで、「一緒にこのまちづくりという電車乗っていく?」と声をかけていくような感覚で、1人ではなく、みんなでレールを敷いていくことが大事だと感じています。

・・・今後3.9 miles projectで実現したいことについて教えてください。

このプロジェクトが掲げるのは、銚子の挑戦インフラを創ることです。自分より下の世代が主体的に「私も小さなカフェをやるのが夢だった」「母とパン屋さんをオープンすることが夢だったのですが、相談に乗ってもらえないですか」とみんなの夢や憧れ、理想を小さくてでも一つでも多く形にできるようなプロジェクトでありたいです。これが僕自身、目指す理想図であり創りたい世界です。